咲野BLOG

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ボーダーライン

復興の過程において、今後「被災地」、「被災者」という言葉に何らかの基準が設けられる事になり、それが大きな問題になって行くと、私は思っています。

勿論今回の地震で住居が倒壊、焼失してしまったり、後から来た大津波で住居や仕事場、学校等が甚大な被害を受け、今も避難所での暮らしを余儀なくされている方々、残念ながらお亡くなりになってしまった多くの方々…。
紛れもない被災者です。

ですが、福島原発の近くにお住まいで、直接の被害は無かったものの泣く泣く住み慣れた土地を離れている方々、今後も続くであろう風評被害に翻弄されている方々、ほとんど報道されないながら液状化、断水に苦しむ舞浜の方々をはじめとする北関東の方々、本震や度重なる余震、報道映像の影響で地震酔いやトラウマ、PTSDに悩まされる方々、原発の周りで今も置きざりにされている動物達…。

さらに、今後何十年も放射能と背中合わせで暮らして行く事になる世界中の人々、動物、植物…。

直接、間接を問わず地球のすべてが被災者、地球のすべてが被災地とも言える訳です。

ですが、今後補償や復興支援といった何らかの査定が下される場合、そこには冷酷なボーダーラインが引かれ、補償や支援のランク付けがされてしまうのです。そのライン上で起こるであろう様々な出来事、それを考えると苦しくなります。

ではそこで、私達に何が出来るのか…。

これまでは、「被災者」と「支援者」、「応援者」という立場でしたが、そういう憐れみとか同情とかいう上からの目線ではなく、言葉はおかしいかもしれませんが「同じ被災者」という、同じ高さの目線になるべきではないかと思うのです。

「一緒に生きて行く」
「一緒に復興して行く」

これが私がここ数日考えた結論でした。
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